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取材:2012.12.8

地図

平安時代から昭和48年(1973)の閉山まで銀・銅・錫鉱山として栄えてきた生野銀山。 採掘した鉱石を精錬所に運ぶため、大正9年(1920)に鉱山から生野駅まで線路が敷かれ、 小さな電気機関車がトロッコを牽引して走っていました。昭和30年(1955)にトラック輸送 に転換されてトロッコ道は廃止されましたが、線路跡は遊歩道として整備されつつあります。

トロッコ道案内板

トロッコ道(遊歩道)
トロッコ道(遊歩道)入口 トロッコ道(遊歩道)
JR播但線生野駅から旧市街を北東へ10分ほど歩くと、トロッコ道の入口があります。
いくら小型のトロッコだといえ、自転車がやっと通れるくらいの道の狭さは驚きです。もちろんトロッコ線路が撤去されてから家屋が増築されたのでしょう・・
その狭い路地を抜けると市川にぶつかり、トロッコ道遊歩道が始まります。

トロッコ道構造 トロッコ道の線路
遊歩道にはトロッコ線路らしきものが敷かれています。トロッコ用の6キロレールが使われており、軌間は当時と同じ500ミリです。
舗装面の高さにレール踏面があるので路面軌道のようですが、遊歩道として歩行者の安全に配慮したものでしょう。

一旦途切れる線路 アーチ橋の上を
トロッコ道のレールは途中で途切れ、また続いています。
このあたりは自然の地形に応じたアーチ橋上にトロッコ線路が敷かれ、日本の近代化における貴重な土木建築物として評価が高まっています。
実用本位のトロッコにさえこのような優雅な建築を適用するあたり、隆盛を誇った鉱山の矜持と言うべきでしょうか。

案内板

トロッコ軌道跡

大正9年(1920年)に、鉱山本部から支庫(旧駅)までの市川沿いに、精鉱輸送のために電車専用軌道が建設されました。昭和30年(1955年)に飾磨港までのトラック輸送が始まるとトロッコ軌道のレールは撤去されました。
この付近の石積み擁壁には、自然の地形に応じた珍しいアーチが見られます。
連続するアーチによって壁面にリズム感が生まれ、石積み擁壁が持つ圧迫感を和らげています。近年、日本の近代化における土木建造物として評価が高まっています。
また、昭和11年頃の写真では、市川を堰き止めてボートを浮かべるなど、当時の生野の優雅な生活がうかがい知れます。

<案内板より>

銀山町ミュージアムセンター
ミュージアムセンタ ミュージアムセンタ脇のトロッコ線路
生野鉱山の近代化に尽くした浅田貞次郎氏のお屋敷『浅田邸』が、「銀山町ミュージアムセンター」として公開されています。
石積みの下、一段下がった場所にトロッコ道があり、この付近だけは今にもトロッコがやって来そうなリアルな線路が敷かれていました。

トロッコ道(遊歩道)終点 宮町通り
トロッコ道はこの先鉱山まで続きますが、遊歩道として整備されたのはここまで。
レトロな情緒を残した「宮町通り」に上がると、銀山町ミュージアムセンターの入口がありました。

生野ハヤシライス
生野ハヤシライスの店 生野ハヤシライス
いま町おこしの企画として「鉱山職員の社宅で食べた懐かしい洋食・ハヤシライス」が町のレストランで味わえます。
私はレトルトの『昭和30年台・懐かしい味と香り』、『昭和40年代・コクのある味わい』の2品を求め、家で頂きました。なかなかイケる味です。

お問い合わせは生野ハヤシライス部会までどうぞ。


朝来市観光情報センター
JR生野駅と朝来市観光情報センター からみ飴
JR播但線生野駅には、朝来市観光情報センターが併設されていました。生野銀山観光情報、そして生野から飾磨港まで鉱石を馬車で輸送したという【銀の馬車道】のパンフレットなど、いろいろと置いてあります。
お土産としては『生野ハヤシライス』や、銅の精錬でできる鉱滓をモチーフにした『からみ飴』などユニークな商品が手に入ります。


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Create:2013.02.10