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養蚕秘録(ようざんひろく)
あけのべ自然学校は、兵庫県養父市大屋町にあります。 3年前合併し、行政区は養父市になりましたが、以前は養父郡大屋町でした。
大屋町には大屋、口大屋、南谷、そして西谷の旧村がありましたが、この西谷に江戸時代、 上垣守國という人があり、「養蚕秘録」という本を著しました。

題名をみて、蚕、絹をすぐさま連想していただくとありがたいのですが、 最近では蚕は我の幼虫で。ということから説明しないと判って頂けなくなりました。 絹は昔から高級な織物です。今、絹織物は輸入品が多いそうですが、 昔から日本の重要な輸出品でありました。銅と同じです。
但馬は鉱山があり生野鉱山は時の権力者にとって正に宝の山でありました。 もう一つ旧養父郡は品質の良い繭の産地だったのです。
桑の木を植え、蚕の餌にします。私の子供時分にはこの桑畑が沢山ありました。 但し、明延鉱山の地元、明延にはありませんでした。鉱山は消費地です。 明延から10キロメートルほど離れると、この桑畑、桑園(そうえん)といいますが、広がっていました。 広がるといっても、平面的にではなく、山の斜面が多く、立体的な広がりです。 平らな土地には、田や畑をつくらねければなりません。
空いた土地は、山の斜面などになるわけで、土地の有効利用は昔の人のほうが熱心で、上手でした。

なぜ桑の話をと思われるでしょうが、蚕を飼う為にはその餌となる桑が大量に必要です。
桑が多くあるという事は、蚕を沢山飼っているという事になります。
宝暦三年に養父郡西谷村に生れた守國さんは養蚕を広めます。 18歳のとき陸奥福島に蚕種(さんしゅ)を買いに行きます。 その後安永四年には近江へ行き蚕種を求めます。 そして山陰、山陽、西海道まで販売していくのです。 地元但馬や隣国丹波へ養蚕業を広め、享和二年「養蚕秘録」を著しました。 この本は、蚕の飼い方をあらわした本です。内容は大変判りやすく書かれています。 養蚕秘録は日本中の養蚕業に読まれ、蚕即ち絹の増産に貢献したのです。 そして養蚕秘録はヨーロッパへわたり、フランス語に訳され出版されました。1848年のことです。 我国の技術輸出第1号といわれています。

大屋にはこの守國さんの業績を保存する上垣守國記念館があります。 あけのべ自然学校へお出でになった時は、ぜひご見学になる事をお勧めいたします。 地味ですが、いかにも但馬らしい生業、地上では蚕が飼われ、地下では鉱石が掘られ、 日本の礎を支えていたのです。

明延鉱山操業当時から、但馬との連絡を担ってきた路線バス
養父市立あけのべ自然学校
電話番号079−668−0258

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Create:2007.01.28