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古文書「恐れ乍ら明延御山語り伝えの事指し奉り申上候」(前編)
本当に寒くなってきました。近畿も木枯らし一番が到来しました。
北海道佐呂間では竜巻で甚大な被害がありました。心からお見舞い申上げます。
私も阪神淡路大震災の時、単身赴任で神戸市須磨区の官舎に居ました。
自然災害の怖さを身をもって体験しました。
全国の皆さんからの、応援のありがたさ、うれしさも良く覚えています。
寒さが厳しくなります。一日も早く安心して生活できる家が確保できますよう祈ります。

今回は古文書の話です。
「恐れ乍ら明延御山語り伝えの事指し奉り申上候」というものです。
この文書をご紹介するにあたり、どのような方法をとろうか、考えてきたのですが、考えた末、やはり原文のままご紹介したいと思います。

長いので、2回に別けることにします。
原文は、縦書き、元のママの文面です。
書かれた日附けは、寛保2年戌4月となっています。

私自身が読み難い字、地名には振り仮名を、文中ではなく、ここにまとめて挙げておきます。
自身の不勉強で、全体に誤りもあることと思います。
お気づきになられましたら、ぜひ教えていただきますよう、伏してお願いいたします。

夥=おびただしい  罷=まかり   而=しかし   尤=もっとも
八鹿村=ようかむら   建屋町=たきのやまち
恐れ乍ら明延御山語り伝えの事指し奉り申上候

一、  明延御山の儀は大同より三百年も以前に掘り初め候由、その時分は口々に小屋懸け致し、 一カ所切りに相稼ぎ候由、大同元年に方々へ小屋がけ一ヶ所に引き寄せ、町作り明延町と申し習せ候由
一、  中古に銅山中絶仕り銀山を見立て相稼ぎ夥敷しく大盛仕り、家数千軒余御座候由
一、  寛永年中の頃より銀山も段々終り口に罷り成り候、而し それより又銅山取立て山師段々替り、 只今に相続き仕り罷有之事南都大仏の御尊体も明延の銅にて奉鑄候由、尤も氏神妙見の社も大同二年に建立仕り、 即ち妙見の縁起に、明延御山初めの仔細、書き記し有之候ところ、寛永八年に妙見の社、 煙焼仕り彼の一通も又焼失仕り、たしかなる筋、知り難く御座候
一、  寛永四年までは生野銀山なみに御■候由に候御奉行間宮新左エ門様それにより以前は別所豊後守様御知行所御座候由、 語り伝えに承り及び申し候
一、  寛永五年より同八年まで始めての請主竹田町門垣屋助右ヱ門山師、山師加奉、吉兵衛初め町内二、三人御座候由
同九年より寛文元年まで廿四年請主山口村九郎左ヱ門山師加奉太郎次郎、助太夫、 六郎にて候同二年より四年まで三カ年請主生野銀山玉屋九郎右ヱ門、山師加奉作左ヱ門にて候、 同五年己ノ年より戌年まで六カ年請主山口に村九郎左ヱ門山師加奉重左ヱ門初二、三人同十一年亥年より丑年まで三年、 請主芸州板垣与左右ヱ門請人八鹿村新左ヱ門山師加奉、重左ヱ門、延宝二年寅年より酉年まで、 八カ年請主竹田町籠屋新左ヱ門祝屋三郎にて候、山師加奉重左ヱ門天和二年戌年より辰年まで七カ年御手山山師加奉重左ヱ門初め、 その外加奉二、三人相談申し、元禄二年巳の年より卯年まで十一年、八鹿村喜左ヱ門請主に加奉作右ヱ門、 建屋町村川尻屋、藤右ヱ門請主、同六年申の年親治右ヱ門御日札御願い申し上げ頂戴仕り候。
申酉戌三カ年森垣村中嶋屋喜左ヱ門、奥銀屋、買吹屋、佐兵ヱ相稼ぎ申し候。


今回はここまでです。残りの部分は次回という事にさせてください。
皆さま、お風邪などひかれませんよう。健康には充分注意してお過ごしください。
お問合せ:あけのべ自然学校  電話079−668−0258

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Create:2006.11.12