Shin-Ootani Mine<新大谷鉱山>
京都市の北部に広がる"北山"、北山杉で全国的に名を知られたこの地域には、もうひとつ主要な産物があった。「マンガン鉱」である。
マンガンは乾電池でおなじみであるが、合金材料としても重要なマテリアルである。昭和時代、特に第二次大戦中は京都市北部・京北町・日吉町・美山町一帯で無数のマンガン鉱山が開発された。マンガン鉱山は規模が小さく鉱業主も小企業や個人が中心であった。そのため労働状況は過酷で、特に韓国などからやってきた労働者にとって厳しい職場であった。身体を蝕まれもう坑内に入ることすらできなくなった人々が現在も数多く治療を受けているという。
すでに丹波マンガン地帯で操業している鉱山はなく、ここ「新大谷鉱山」のみが探鉱開発を継続しているものの、"ヤマ"の火は消えて久しい。
「このままでは丹波マンガン鉱山の記憶は歴史の彼方に消え去ってしまう!」
そんな切実な声から誕生したのが「丹波マンガン記念館」である。大企業ベースの鉱山テーマパークとは違い、地味で手作りの展示内容・社会問題にも目を向けたコンセプト。いずれも他の観光鉱山には見られない特色である。

「丹波マンガン記念館」は京北町下中交差点から東へ1キロほど入ったところだ。手作りの案内標が建つ。

エントランスも手作り風。写真左の下部に「中瀬坑」と記された坑口が見えるが、観光坑道の出口として使われている。写真右は地上設備の全景。(駐車場完備である。)

過酷な労働環境を伝える「飯場」。食事は立ったままであったという。
■観光坑道

観光坑道は約300メートルあり、入口は「川端大切坑」という古い坑道を整備したもの、出口は先述の「中瀬坑」である。両坑道には高低差があり、坑内に下り階段が設けられている。暗くじめじめした坑内で、さらに下部の坑道へ向かう感触は鉱山好きにはたまらない魅力だ。(足元には十分ご注意を。)

坑内ではマンガン鉱採掘や搬送の状況をあらわした人形が配置されている。観光客受けをねらった「チョンマゲ人形」など一体もないのがいい。

古くは「木馬(きんま)」と呼ばれた木製そりを使用していた鉱石搬送であるが、最盛期は小型トロッコを活用していた。下部の坑道からは斜坑をケーブルを使って鉱車を引き上げる。
■旧坑めぐり散策道

裏山には30箇所もの旧坑が口を開いており、散策道で巡ることができる。写真の坑口は比較的大きいものだが、大抵は狸掘りと呼ばれる、高さ1メートル程度の坑道である。
■周辺地図
丹波マンガン地帯には多くの鉱山跡が点在する。
■交通
JR京都駅前からJRバス(周山方面上川行き・ゼミナールハウス行き)乗車、約1時間、下中下車(周山乗り換えの便もある)。徒歩20分。
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