高玉金山坑道

Takatama Gold Mine<高玉金山>

取材 1998年11月23日 WEB化 1999年4月5日 2001年1月10日改定


高玉(たかだま)金山は天正元年(1573年)頃に会津藩の手によって開山されたと伝えられている。
以来400年にわたって採掘が続けられて来たが、惜しくも昭和51年(1976年)に閉山となった。
その間に生産した金はおよそ28トン、銀は280トンであり、坑道の総延長は800キロメートルにもおよぶ。
現在は、観光鉱山「ゴールドマイン高玉」として延長700メートルにも及ぶ坑道が一般公開され、ユニークなスタイルの「ふくろうトロッコ」に乗って坑内見学ができるようになっている。

■坑内

大立坑トロッコ設備
(写真左)坑内には上下230メートルの大立坑があり、巻き上げ機が設置されていた。写真は巻き上げ用ケーブルが通っていた坑である。
(写真右)大正時代からトロッコによる鉱員輸送、鉱石やズリの搬送が行われていた。観光坑道には当時の軌道(レール)や積み込み設備が残されている。

金鉱脈金鉱脈アップ
(写真左・右)有数の高品位金鉱脈とその接写。このような鉱脈が尽きなければ、現在も隆盛を極めていたのであろうか。

シュリンケージ採掘跡バッテリー電車鉱山歌
(写真左)鉱脈に沿って垂直方向に上向き採掘する「シーリングゲージ採掘法」。巨大で神秘的な空間が残される。
(写真中)坑内見学にはユニークな顔をした「ふくろうトロッコ」に乗って行く。形は遊園地風でも、老舗の坑内車両メーカーが製造した「蓄電池機関車」である。
(写真右)土井晩翠の作詞になる、「高玉鉱山歌」。・・・日本の東北奥羽の空に、金鉱覇王の我等の山ぞ、産業世界に先がけ進め、東洋一こそ我等の理想・・・。

■資料館

資料館内部資料展示
(写真左・右)高玉金山資料館には各種鉱石や採鉱用具、資料などが展示されている。

石英結晶鉱物石英結晶鉱物アップ
(写真左・右)資料館中央に展示されている「石英結晶鉱物」。肉眼で金の粒が観察できる・

肉眼金鉱石肉眼金鉱石のアップ
(写真左)他にも「肉眼金鉱石」が展示されている。写真上方の縞模様の石は「高玉金山最高品位の 金鉱石1トン当たり15000グラム」という札がついているから驚きだ・
(写真右)肉眼金鉱石のアップ。

■高玉金山略年表

 
和暦年(西暦年) 項目 備考
天正元年(1573年) 会津藩の手により高玉金山が開かれる。
明治26年(1893年) 樽混泉法による金精錬を開始する。
明治36年(1903年) 青化法による金精錬を開始、近代的な鉱山としてスタートする。
大正7年(1918年) 高玉金山という名称で操業する。
昭和4年(1929年) 日本鉱業の経営となる。
昭和37年(1962年) 日本鉱業の手を離れ、高玉鉱山株式会社として再出発する。 このころから、全国的に金属鉱山の衰退・閉山が多くなっている。
昭和51年(1976年) 生産を全面休止、閉山となる。
平成8年(1996年) ゴールドマイン高玉として再開坑する。

■周辺地図と交通

周辺地図JR磐越西線「磐梯熱海」駅下車、タクシーで約7分。
車の場合、磐越自動車道「磐梯熱海」I.C.降りて7分。

観光鉱山情報として、ゴールドマイン高玉株式会社のホームページ「高玉金山が開設されている。
 


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