Ooya Mine <大谷鉱山>

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大谷(おおや)鉱山は明治38年(1905年)頃から本格的に開発された、金山である。
東北地方は「平泉の黄金文化」に象徴されるように古来より産金の盛んな地域であった。
大谷鉱山は歴史に名をとどめてはいないが、平安時代頃にその起源をさかのぼることができるかもしれない。

昭和初期には機械による採掘を採り入れ、選鉱場も備えた本格的な鉱山として稼動しはじめ、年間1トンにもおよぶ金を産出したのである。
第二次世界大戦中は国策により休山していたが昭和25年(1950年)に再開、青化法による製錬場を備え年間4〜500キロの金を生産した。
最盛期には、坑道延長が90キロメートルに及んだという。
昭和46年(1971年)、鉱量枯渇により閉山し、現在は坑廃水処理のみを行っているほか、敷地は医療器具工場となっている。
閉山時は日本鉱業系列の「大谷鉱業」の経営であった。
 

坑口風景 鉱山を見る
写真左:勤務を終えて出坑(大谷たより 昭和40年8月より)  /写真右:昭和38年頃の大谷鉱山(大谷たより 昭和38年9月より)

選鉱場 選鉱場の夜景
写真左:選鉱場とホッパー遠望(大谷たより 昭和38年10月より)  /写真右:選鉱場夜景(大谷たより 昭和38年11月より)


■現在の大谷鉱山

案内表示 鉱山事務所
写真左:大谷鉱山の沿革 /写真右:鉱山事務所(現在は坑廃水処理のみを行っている)

 坑廃水処理施設 0メートル坑口
写真左:坑廃水処理施設 /写真右:0メートル坑口(閉鎖されている)

ホッパー1 ホッパー2
写真左:現在の大谷鉱山全景 /写真左:ホッパー
 


■大谷鉱山資料保存庫

保存庫 保存庫内部
写真左:資料保存庫外観 /写真左:資料保存庫内部

バッテリー電車 ローダー
写真左:バッテリー電車 /写真左:ゴムタイヤ式ローダー

2tグランピー鉱車 試錐機試錐標本
写真左:2トン積みグランピー鉱車 /写真左:試錐機と試錐標本


■周辺地図と交通

周辺地図JR気仙沼線 小金沢駅より北3km



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