Ikuno Mine<生野銀山>



生野銀山は古く平安時代に開坑され、戦国時代以降は本格的な金属鉱山として「金・銀・銅・鉛・亜鉛・錫」などを採掘してきた。
閉山は昭和48年(1973)で、理由は「山はね」事故が発生して採掘が危険になったためだという。もっとも、昭和40年代以降、輸入鉱石に押されて経営的な困難に陥った金属鉱山が多い中、安全が確保できてもいつまで操業していたかはわからない。
いま、生野鉱山は「シルバー生野」として、観光坑道・鉱山資料館・鉱物館などが整備されて、楽しく遊び・学ぶ施設となっている。 とりわけ「和田コレクション」を集めて展示した「生野鉱物館」は、鉱物マニアならずとも息を飲むほどのすばらしさだ。
シルバー生野の門前には、かつて同一企業により採掘されていた明延鉱山の名物列車「一円電車」が展示されている。
 
    
代官門をかたどった構内入口          金香瀬坑口。観光坑道の入口である。

    
坑内には採掘の様子が展示されている。ここまで来た作業員はエレベーターで立坑を下る。
最も深い立坑は光栄立坑といい、深さは海抜−300メートルに及ぶ。

    
坑道は闇の中に延々と続いていた。観光坑道の出口(江戸時代の坑口を模して作られている)

生野鉱山エリア概略図

地下には無数の坑道が存在し、最深部は海面下数百メートルに及ぶ。
生野銀山概略図

中央立坑

中央立坑はほぼ海抜0メートルまで達している。

    
中央立坑へ向かう坑道。508mm軌道が残されていた。

円山疎水坑

5番坑レベル=坑内の幹線坑道の末端である。
    
円山疎水坑出口。ここにも508mm軌道が残されていた。


生野銀山周辺地図

交通

JR播但線生野駅下車、バスまたはタクシー。(シルバー生野前下車)
JR新大阪より特急バスの便もある。車なら播但連絡道路利用が便利。

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