Tounaru Area<東平(とうなる)地区>
今も残る施設の跡。
東平は、標高700〜750m。山の中腹にあった"鉱山都市”である。
最盛期には、社宅・学校・寄席まであったというが、今は石積みや煉瓦積みの廃墟が残るばかりである。
■当時の東平平面図
...立派な銅板の地図が立てられている。
その当時、東平から銅山峰を隔てた「日浦」まで鉱山鉄道が通じており、従業員や付近住民の便宜のために旅客の便乗を許していた。
坑道内が狭くて危険なため、客車には鉄網がめぐらされており、「かご電車」の愛称で親しまれたという。
...
東平坑休止頃の東平(東平歴史資料館のパンフレットより) かご電車(銅山記念館)
■あかがねの里「東平」
...
あかがねの里「東平」の展示館正面/外観。奥に当時の鉱山鉄道のトンネルが見える。
マイントピア別子の一部として、歴史資料館・マイン工房・銅山の里自然の家・社宅(復元)などが設置されている。入場無料である。
■第三通洞
...
第三通洞は、明治35年に開通した、最初の本格的な通洞坑であり、レールも敷設されていた。
...
...軌間は508mm
...
ここを「かご電車」が走った。この坑道は山の向こう側「日浦谷」まで抜けており、住民の便を図って客車を運行していたのである。今も、第三通洞入口付近のみであるが、軌道が残されている。(当時は複線)
■変電所跡
...
このあたりは、かつて採鉱本部などの建物が立ち並んでいたという。いまは変電所跡が残っているのみ。はるか上に上部鉄道跡が...
■第三通洞前(採鉱本部)平面図
■東平見学・観光については、下記へご照会ください。
マイントピア別子・東平記念館−−−電話0897−36−1300
(参考資料)
あかがねの里・東平(東平歴史資料館パンフレット)
[Home] [中央竪坑] [戻る]