Bessi Mine<別子銅山>

別子銅山第四通洞


別子銅山は、江戸時代から日本の主要銅山として栄えた鉱山である。
主要な産出鉱物は、金・銀・銅・硫化鉄・アンチモニ・ニッケルであるが、何といっても別子銅山の名で知られるように「銅」の比重が圧倒的である。
元禄年間の操業開始時から、住友系の主力鉱山であった。

位置図

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距離などは正確ではありません。      上部鉄道の列車(日本の博物館<講談社>より)

■歴史

1690年頃(元禄3年)鉱床発見、翌年より採掘開始。
1869年(明治2年)明治政府の元で住友系企業による操業継続が認められる。
1886年(明治19年)第一通洞開通。
1893年(明治26年)上部鉄道・下部鉄道開通。
1902年(明治35年)第三通洞開通。
1915年(大正4年)第四通洞開通。大立坑完成。
1969年(昭和44年)大斜坑完成。
1973年(昭和48年)終掘(閉山)。

端出場(はでば)

......貯鉱設備跡
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旧「端出場」の設備が今も残っている。   昔坑内電車の乗り場があった。(日本の博物館<講談社>より)

険しい山道を粗鉱をかついで搬出していたものが、2つの鉱山鉄道と索道により、機械力で輸送できるようになったのが明治26年のことである。
標高およそ1000メートルの上部鉄道から、索道を使って鉱石を下ろし、下部鉄道によって河口の精錬所まで輸送するというルートの中核が、ここ「端出場」であった。

第四通洞

......

明治35年には、第三通洞が鉱床の真下から東平(とうなる)まで開通し、選鉱所ができた。
東平で選鉱された精鉱は索道で「端出場」へ運ばれるようになった。
さらに大正4年になって、第三通洞の直下600mに第四通洞が開さくされ、鉱石は直接端出場に出せるようになった。
以来昭和48年の終掘まで、端出場は鉱石輸送の中核でありつづけたのである。

マイントピア別子

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メルヘン調の建物はマイントピアのエントランス。温泉も湧いていてごきげんである。 ↑ドイツ人技師の指導により架設した打除橋梁
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マイントピア別子は、端出場の跡地に建設されたテーマパークである。
上部鉄道で使用された蒸気機関車(別子1号)をモデルにした鉱山列車に乗って、打除(うちよけ)まで数百メートルの旅を楽しむことができる。
その旅は、また"時間の旅"でもある。
下車したらそのまま坑内見学ができ、江戸時代の採掘現場から近未来の宇宙鉱山まで、タイムトンネルのようにすりぬけていくのである。

鉱山で活躍した車輌たち

...坑内電車(バッテリー機関車)と鉱車

...第三通洞で従業員や住民の輸送に活躍した「かご電車」

Tounaru Area東平(とうなる)地区

東平へは、端出場から山道を徒歩で行くか、車なら4倍くらい大回りしてゆかなければならない。
東平は、標高700〜750m。山の中腹にあった"鉱山都市”である。

Bessi Memorial Museum別子銅山記念館

下部鉄道で新居浜から端出場へむかう中間あたり、山根というところに、「大山積神社」が座しまし、隣(というより境内)に「別子銅山記念館」がある。

各設備の垂直方向地図


あまり正確な図ではありません。イメージ図です。

交通

JR予讃線「新居浜」駅から「マイントピア別子行き」バス乗車。
●別子銅山記念館へは、「山根グランド前」下車。
●端出場・マイントピアへは「マイントピア別子(終点)」下車。
●東平へは、マイントピア別子から徒歩約2時間。(きつい)
●旧別子へは、マイントピア別子から徒歩約5時間(軽装不可)

(参考資料)
日本の博物館−第13巻「産業の発達史」(講談社)
伊藤玉男著「あかがねの峰」(山川静雄発行)


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