このページでは、昭和40年台の写真で当時を偲びつつ、現状の姿も紹介したい。
2002年には明延側に観光トロッコが登場し、線路の幅は明神電車と同じ762mmが採用された。一円電車にそそぐ地元の情熱が結晶した軌道である。
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明延鉱山側は1キロほどが地上区間。軌道は落石や崖崩れで不通箇所が多くなっている。
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<明延側坑口> 延長3937mの明神第2ずい道 <神子畑側坑口>
今は両坑口共ブロックで塞がれている。明神電車はこのトンネルをぬけるのに20分以上かかった。薄暗い白熱電球の灯る車内は護送車のようで、ゴトゴトと無気味な振動が永遠に続く恐怖の旅であった。内部は素掘りの狭いトンネルだ。
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神子畑は500mほどが地上区間。一部軌道が撤去されていた。
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神子畑の電車乗降所付近。いつ電車がきてもおかしくないような情景がある。
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昭和49年に撮影した神子畑選鉱所・乗降所風景。
現在の神子畑選鉱所。
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明延「西部地底ゾーン」に展示されている車輌。電動客車・バッテリー機関車・鉱車など、10両くらいある。
生野鉱山(シルバー生野)前にも展示。
明延・神子畑周辺地図![]() |
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